津留崎直紀 コンサート情報

弦楽合奏版「展覧会の絵」特別演奏会

 

ムソルグスキー/津留崎:弦楽合奏版「展覧会の絵」

 展覧会の絵と言えばすぐさまラヴェル編曲のオーケストラ版を思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、ちょっと調べてみたらオーケストラ版だけでもラヴェル以外にも少なくとも10は存在する。その他にも金管アンサンブルや吹奏楽は言うに及ばずマンドリンアンサンブル版まで存在するが、原曲はピアノ独奏のための曲である。ムソルグスキーは画家で建築家だったハルトマンと親交が厚く1873年にハルトマンが急死したのを悲しみ、作品を集めて展覧会を行う事に協力したのみならず、ハルトマンの作品の中から10枚の絵を選んで描写的音楽を翌1874年に作曲完成した。この10曲の他にプロムナードと題した序奏があり、この主題が一枚の絵から次の絵に移る際、様々に変形されて現れて来るのも音楽的に大変興味深く聞き所である。この主題は終曲「キエフの大門」のクライマックスで凱旋行進曲風になって華々しく現れる。

練習風景 
 1839年生まれのムソルグスキーは正統的な音楽教育を受けず作曲もほとんど独学で学んだせいか、長い間日曜作曲家のように言われる事が多かった。確かにその独特なエクリチュール(音の書法)やソフィスィケートされていない感じのするオーケストレーションなど一見「素人っぽい」面が多々ある。しかしその優れた感性を見抜いた、友人であり師でもあったリムスキーコルサコフなどの協力があり、作品が紹介されるようになった。フランスにもほとんど同時代にシャブリエというやはり「日曜素人作曲家」がいたが、この二人は一部の「玄人」から「素人」扱いにされる傾向があったが、アカデミックではない故の天才的発想をする作曲家だと言う共通点がある。
 ラヴェルやドビュッシーなどフランス近代作曲家はムソルグスキーやリムスキー=コルサコフなどのいわゆるロシア5人組の音楽や特に和声法には大変な興味を抱いていたようだ。この流行は1913年の「春の祭典」のパリ初演で爆発的な物となるが、それはもう少し後の話してある。ドビュッシーの場合ワーグナーに感化され、そして脱ワーグナーと進んで行き、アカデミスムと戦いやっと独自の和声法を手に入れたという趣があるが、遠くはなれたロシアの「素人作曲家」ムソルグスキーが何年も前に同じような事を何の問題もなく実現していたのは皮肉である。この時期のロシア作曲家の和声感覚はムソルグスキーの例を出すまでもなく非常にユニークで非西欧的で、いわゆる機能和声と呼ばれるドイツ式の堅牢な和声法の影響から次第に離れて、独自の道を歩みだしたと言って良い。練習風景

「展覧会の絵」はムソルグスキーの死後リムスキーコルサコフが校訂し出版された。他のムソルグスキー作品の多くも同様で、たとえば現在演奏されている「禿げ山の一夜」も特に断り書きがない場合はリムスキー=コルサコフ版である。(原曲から半分以上カットが施されている)そんないきさつもあり「展覧会」はありとあらゆる方法で世の中に知れ渡ったが肝心の原曲が出版されたのは近年になってからである。原典版を弾くピアニストで有名になったのはリヒテルが始めてだと言われているが、リヒテルは多くのピアニストがラヴェルのオーケストラ版を参考にしたような弾き方をしたりするのに批判的で、ラヴェルの編曲そのものにもかなり批判的だったそうだ。
 さて今回は私が弦楽合奏用に編曲した版を演奏する。またもうひとつ原典ではない編曲物を増やした格好ではあるが、私の調べた所では弦楽合奏版はこれ以外存在しない。編曲はもちろんムソルグスキーの原典版に忠実に書いたつもりではあるが、かといって自分の編曲の正当性を主張するつもりもない。どうして弦楽アンサンブルに?と思われる方も多いかもしれないのでその事を少し書く。
 きっかけは学生時代に読んだG.ヤコブ著の「管弦楽法」に参考例として出ていた「リモージュ」だった。これを見た時から、いつか弦楽合奏に全曲書いてみたいと思っていた。弦楽器だけというと音量の少ない、迫力が足りないというイメージを持つ方も多いかもしれないが、弦楽四重奏ではたった4人で時に大オーケストラ並みの効果を発揮する事が出来る。弦楽器は実はいろんな可能性がある。そういう効果がだせるような編曲をしたいと思っていた。もうひとつの理由はラヴェルが決定的にしてしまった感がある超色彩的な見方を、別の角度から光を当ててみたいと思うからである。原曲のピアノ版を聞く限り私にはどうしてもあれほど絢爛豪華で色彩的な音楽というよりは、もっとくすんだ不透明で時にはセピア色の音楽をイメージしたくなる。そういう音色は弦楽アンサンブルには向いているのではないかと思うからだ。

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